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「イエスさまのかがやき」

2023年1月29日 いっしょ礼拝説教(降誕節第6主日)       
牧師 朴大信
新約聖書 マルコによる福音書9:2~8                 

あれは確か7月頃のことだったと思います。本格的な夏がやって来る暑い季節でした。ある日、私の家のリビングルームから変な臭いがしました。腐ったゆで卵のような臭いです。最初は気のせいかと思いましたが、それが何日も続いて、だんだん強くなってゆきました。確かにその部屋のどこかから臭うのです。どうもおかしい。でも原因が分からない。家族中が毎日、鼻をクンクンさせながら原因捜しをした時のことが忘れられません。

そして一週間くらい経ったでしょうか。ついに臭いの元を突き止めました。場所はテレビの上です。そこに幾つもの飾り物が置いてありました。綺麗に並べられていたその飾り物のどれかに違いない。一つ一つ摘まみ上げながら確かめました。そしてある丸っこいものを鼻に近づけた時、とうとうこれだと分かりました。それはそれは物凄い臭いでした。何だか分かりますか?

イースターエッグでした。春のイースターで、教会からもらったものです。とても素敵な模様だったので、大切に飾ろうと思って、そこに置いていたのでした。しかしやがて忘れてしまい、3ヶ月も放置したままだったのです。皆さん想像してみてください。イースターエッグはゆで卵ですね。文字通り、本物のゆで卵が腐った臭いだったのです。(こんな苦い経験をした人は私くらいしかいないとは思いますが、皆さん、どんなに美しいイースターエッグだったとしても、もらったら、できるだけ早い内に感謝して頂きましょう)


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今日お読みした聖書の話も、実はこれと少し似た所があります。

一つの絵があります(ラファエロ「キリストの変容」)。真ん中に山が立っていますが、今日のお話の舞台は山の上です。イエス様は三人のお弟子さんたちを特別に選んでこの山に登られました。「イエスは、ただペトロ、ヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に登られた」(2節)。

ところが、そこで不思議なことが起こります。この絵では、三人の弟子たちが倒れていますね。きっと何かで眩しくて目を覆っているようです。何が起きたのでしょうか。聖書にこう書いてあります。「イエスの姿が彼らの目の前で変わり、服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった。エリヤがモーセと共に現れて、イエスと語り合っていた」(2~4節)。

モーセとエリヤが出てきました。二人ともイエス様よりもずっと前に生きた人で、既に天国にいる人たちです。その二人が突然現れたのです。モーセはイスラエルの人たちをエジプトから脱出させたリーダーです。先ほど十戒を唱えましたが、この十戒はモーセを通して神様が与えてくださいましたね。神様の大切な教えを伝える人。だからモーセは、律法の代表と呼ばれます。一方、エリヤは預言者の代表と言われます。この人も神様の言葉を預かって宣べ伝える人として、皆から尊敬を集めました。そのエリヤがモーセと一緒に現れて、イエス様とお話をしている。

ペトロはこれに驚いて、興奮しました。だってそこには、言ってみれば聖書を代表するヒーローたちが集まっていたからです。これはもう、聖書全体の言葉が完成する出来事に違いない。聖書に約束された神様の救いのご計画が、今ここで完璧に実現しているのだ!何と素晴らしく、輝かしいことだろうか!


その素晴らしい輝きは、特にイエス様の着ていらした服に現われました。「服は真っ白に輝き、この世のどんなさらし職人の腕も及ばぬほど白くなった」。いったいどんな白さだったのでしょうか?白にも色々あります。明るい白もあれば、暗い白もある。今ここに白い服を着た人同士が並んでみたら、きっと同じではないでしょう。一度、どの白が真っ白か競わせてみるのも面白いかもしれません。

皆さんが今まで見た中で、一番白く輝くものは何でしょう。「銀世界」という言葉があります。今年はよく雪が降りますが、そのように雪がたくさん降って、辺り一面白く、美しく輝く光景のことです。白い雪だけれど、太陽の光を受けてキラキラと銀色のように輝く。スキーをしたことのある人は、見たことがあると思います。銀世界。

けれども、今日イエス様が真っ白に輝くお姿は、「この世のどんなさらし職人の腕も及ばない」程だったと言います。さらし職人とは、洋服関係の仕事をする人のこと。そのようなプロの職人さんでも、決して作り出すことのできない白さ。この世に存在しない白い輝き。天で見ることしかできない輝きを、イエス様は放っておられました。

だからペトロは、その素晴らしさに心が奪われて圧倒されました。わぁ、何と美しいんだろう。そして思わずこう言いました。「先生、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです」(5節)。小屋を建てるということは、そこにイエス様を初めとする三人のヒーローたちを、素晴らしい姿のままで大切に納めるということです。そのようにいつでも自分の見える所、手の届く所に留めて、その美しさが永遠に続くようにと願う。それがペトロの素直な気持ちだったと思います。ちょうど私が昔、イースターエッグを大切にしたいと思って、一つの場所に飾っておいた時の気持ちと似ています。



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さぁ、この後どうなったでしょうか。もちろんここからは、私の昔話とは大きく違います。本物のイエス様が腐るはずがありません。突然「雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした」(7節)のです。その声は天からの声、父なる神様の声でした。辺りは何も見えません。ただ、雲の中から神様の声がするだけです。「これはわたしの愛する子。これに聞け」。

どんな意味でしょうか。私にはこう聞こえます。「ついさっきまであなたたちが見ていたのは、私の愛する独り子イエス・キリストだ。これに聞きなさい。ただ目を丸くして、見惚れてばかりいないで、しっかり耳を立てて、キリストの言葉に聞き従いなさい!」。

イエス様の言葉に聞き従いなさい!「これに聞け!」。ではどんな言葉を聞けばよいのでしょうか。今日の所には具体的に書かれていません。もちろん聖書を読めばたくさん出てきます。皆さんも好きな言葉が色々あると思います。どれか一つをと言われたら、困るかもしれません。でもイエス様は結局、本当は何を仰りたかったのでしょうか。

ちょうど昨日は、しらゆりの会が行われました。そこではいつも参加者の愛唱讃美歌を少しずつ紹介し合って、一緒に歌っています。それが毎回楽しみなのですが、昨日はYさんが素敵な讃美歌を紹介してくださいました。239番です。「さまよう人々 たちかえりて」と歌い始めます。そしてこう続きます。「十字架の上なる イエスをみよや/血しおの滴る み手をひろげ」。

イエス様の十字架でのお姿が歌われます。さ迷う人々よ、十字架の許に立ち帰りなさい。イエス様を見上げなさい。そして血がポタポタと滴り落ちているイエス様の御手をご覧なさい。その手を広げながら何と仰っているか。それが最後のこの一節です。「『生命をうけよ』と まねきたもう」。

イエス様は私たちに仰います。いのちを受けなさい!私のいのちを受け取りなさい!私があなたのいのちなのだから。だから立ち上がって、私について来なさい。私と一緒に、永遠の命に繋がる道を歩いてゆこう」。そう言って、私たちを招いてくださるのです。


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「生命を受けよ!」。この言葉を私たちに聞かせ、そして本当の命の恵みに私たちが生きることができるために、イエス様はこの後、山を下りてゆかれます。最後の8節をお読みします。「弟子たちは急いで辺りを見回したが、もはやだれも見えず、ただイエスだけが彼らと一緒におられた」。

モーセとエリヤはもういません。天に帰りました。イエス様だけが、ペトロたちと一緒におられた。ここが大切です。ただイエス様だけが、ずっと離れずにそこに留まり続けたのです。本当の命を与えるためにです。そしてだからこそ、この後山を下りてゆかれます。決して小屋に留まることはないし、留めてもいけないのです。

先ほどお見せした絵の下半分には、今日の箇所の後に続く場面が描かれます。他の弟子たちが人々と言い争っています。あるいは、人が病に苦しみ、どうにもならない無力感が蠢く姿が描かれています。山の下は、私たちが暮らす現実世界です。罪と死に支配され、真の希望を持ちきれない世界です。そのような中にイエス様は入ってゆかれます。そしてそこを潜られながら、十字架に向かわれます。

白く輝いた服は、この地上で経験する様々な汗や涙、また土埃で汚れていきました。否、十字架に近づく頃には、人々から憎まれ、悪口を言われ、唾を吐きかけられて、身に纏っていた衣もバラバラに裂かれました。そして最後は裸にされて十字架にかけられました。そのように人々から捨てられていったのです。でもイエス様は、それを覚悟で山の頂や小屋に留まることなく、その全てを引き受けてくださいました。私たちを捨てないためです。私たちを神様の愛に結び付けるためです。

ここにイエス様の命懸けの愛があります。輝きがあります。イエス様の輝きは、この残酷な十字架の上でこそ、本当に輝くのです。そして十字架の死に勝利されたことによって、その輝きは決して色褪せることなく、私たちの永遠の命の灯となり続けるのです。


<祈り>

天の父なる神様。今日のいっしょ礼拝をありがとうございます。幼子からお年を召した方まで、一緒に礼拝を献げることができました。しかし何より、あなたが私たちと一緒にいてくださる恵みに支えられていたことを、何度も噛みしめます。どうかあなたの愛に、イエス様を通して留まることができますように。イエス様が命懸けで与えてくださった本当の命の中で、私たちの罪も白く清めてください。「わたしを洗ってください/雪よりも白くなるように」。イエス様のお名前によってお祈りします。アーメン。


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