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「真実を見抜く目」

2022年9月18日 主日礼拝説教(聖霊降臨節第16日)
牧師 朴大信
旧約聖書 民数記18:21~24
新約聖書 コリントの信徒への手紙一9:3~12

ある高校生が、一人の有名な美術家の先生を訪ねた時のことです。しばしの会話の後、その先生は若い男子学生にしばらく目を瞑ったまま待つように伝え、やがてその彼の手に、ずしりと重いものを持たせました。「それが何か分かりますか」と訊ねられた彼は、しばらく手触りの感覚だけを頼りにしながら、間もなく、それが人間の頭の部分を模したロダンの彫刻作品であることが分かりました。

「君、分かるじゃないか」と褒めたその先生は、続けてこう言いました。「彫刻は、触らなければ分からない」。しかしこれを聞いた学生はすかさず、こう返しました。「そんなこと言われても、どこの美術館や展覧会でも、『作品には手を触れないでください』と書いてあるではないですか」。「…そうだね。でもそういう場合にも、目で触るのですよ。絵も目で触らなければ分からない。そのために大切なことは、本物の作品を見ることです。写真ではだめです。本物を見なさい。そして自分でこれだと思ったものを見続けるのです。すると、君は君なりにその作品の素晴らしさが分かって来る」。

この言葉が、当時ある悩みを抱えていたその高校生にとっての、生涯の励ましとなりました。そして彼は後に、牧師となりました。美術作品も、文学作品も、そして聖書も、本物に触っていればよい。目で触るようになぞったらよい。そうすればいつか必ず分かって来る。否、優れた作品というのは、向こうから触って来る。神の言葉も、主イエスの言葉も、実はそれ自体がこの私に出会って来るのだ。彼はそう確信するようになります。


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先週からコリントの信徒への手紙一の第9章に入りました。その第1節に「わたしたちの主イエスを見たではないか」という言葉があります。注目したいのは、パウロが見たと言っているのは、あくまで「わたしたちの」主イエスであったということです。つまり、パウロとコリントの教会の人々とが共有できる、唯一の「わたしたちの主」、そのような普遍的な存在である主イエス・キリストをパウロは見たのだと、はっきり確信しているのです。

けれどもその確信は、誰もが手で触って感じ取れるような共通の感覚に依るのではなく、まさに自分の目、それも心の目で触るような手応えで主イエスのお姿を捉えた経験に基づいています。言ってみれば、パウロは「わたしたちの主イエス」を、どこまでも彼独自の仕方で見て、触れたということです。否、実は主ご自身の方からパウロに独自に現れてくださった。その真実なる出会いに支えられて、彼は今、自らが「使徒」であることを強く主張しようとします。

本日お読みした3節以下は、まさにこの「使徒」を巡る、パウロのかなり激しい口調による弁明です。彼は3節でこう言いました。「わたしを批判する人たちには、こう弁明します」。

ここから分かるように、パウロが感情を高ぶらせてこの手紙を書いているのは、コリントの教会の中に、パウロが使徒であることを疑い、批判する人たちがいたからだったからです。実はこのことは、2節の言葉からも滲み出ていました。「他の人たちにとってわたしは使徒でないにしても、少なくともあなたがたにとっては使徒なのです」。他の人たちにとってはともかく、少なくともあなたたちにとっては、私は疑いようもなく使徒であるとパウロは訴えるのです。

ご存知のように、「使徒」というのは本来、主イエスによって直接選ばれたあの十二人のことを指します。しがたってパウロは、元々その中に入っていませんし、彼らからの推薦状を手にしていたわけでもありませんでした。それどころか、パウロはダマスコへ向かう途上で復活の主イエスにお会いするまでは、キリストに敵対しながら教会を迫害する者でさえありました。

ところが不思議なことに、そのようにかつてはキリストの敵として歩み、また実際にキリストの傍でお言葉を聴いたり、御業を目にしたりすることも無かったそのパウロが、これほどまでに深くキリストに出会ったのです。そして本家本元とも言える、あの十二使徒たちに負けないくらいの情熱と福音理解を携えて、伝道者として遣わされて、コリントの教会の人々に仕えた。「あなたがたの使徒」であるとはっきり言えるまでの関係を築きながら、キリストの教会を一緒に造り上げたのです。


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そのような使徒パウロが、しかしこれも大変不思議なことですけれども、必ずしも相応しい尊敬をもって受け入れられなかった。よりによって、一生懸命に汗水流しながら伝道して生まれたコリントの教会の中から、彼に対する批判が高まっていったのです。この第9章全体の筆致に見られるパウロの高ぶりは、まさにこうした辛い、悔しい現実を背景にしていたものでした。

どんなに悔しかったことでしょう。「あなたがたは、主のためにわたしが働いて得た成果ではないか」(1節)。「あなたがたは主に結ばれており、わたしが使徒であることの生きた証拠」(2節)ではないか。そう訴えながら、パウロは今日の3節以降の言葉を積み重ねてゆきます。「わたしを批判する人たちには、こう弁明します。わたしたちには、食べたり、飲んだりする権利が全くないのですか」。


ここに、「権利」という言葉が唐突に登場します。実はパウロに対して向けられていた批判とは、まさに、彼が使徒であるならば当然持っていてもおかしくない様々な権利を、しかし彼はほとんど行使していなかった、否、全くと言ってよいほど行使しなかったということと関係しています。もっと具体的に言えば、パウロはコリントの教会に対して、経済的に依存しなかった。つまり生活費を受け取らないで伝道していた、ということです。

しかしどうして、このような事が批判の対象となるのでしょうか。松本東教会では毎月、教会員の皆さんに長老会報告をお配りしています。そこに月々の会計報告も含まれています。既にご存知の通り、そこには「牧師謝儀」のことも報告されます。牧師謝儀。これは私がこの教会の現在の牧師として、皆さんの尊い献金から頂いているものです。私はこれを頂く度に、いつもその意味を思い起こしては、感謝だけでなく、悔い改めの思いを抱かずにはおられません。

というのも、この牧師謝儀というのは、いわゆる給料とは違います。教会の働きに対する直接的な対価や報酬でもありません。そうではなく、むしろ牧師が教会の働きに滞りなく専念できるために、余計なアルバイト等して生活費を稼ぐというような負荷をかけない意味で、教会が責任をもって牧師とその家庭の生活を支えてゆくための、経済的な補償という意味合いのものであります。

この、生活費に価する教会からの金銭を、しかしパウロはあえて受け取らなかった。使徒として持って然るべきその権利を放棄した。そしてまさにそのことが、批判の的にされた、ということなのです。使徒言行録を見ますと、どうもパウロは、コリントの教会から金銭的援助を受けずに、「テント造り」という別の手仕事によって生計を立てていたことが分かります(18:3)。

しかし皮肉にも、この自給自足の伝道生活が、教会の人々の目には不信の種となったようなのです。つまり、もしもパウロが本当に、確信をもって福音を宣べ伝える使徒であるならば、その働きを続けるための経済的援助を教会に対して堂々と求めてもよいはずなのに、それをしない。あるいはそれをしないのであれば、テント造りなど余計な手仕事に労力と時間をかけるのではなく、もっと裕福な支援者に頼ってもよいはずなのに、それもしない。これは、使徒として信頼に足る人間ではないということを、露わにする事態ではないか。


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しかし、パウロはこのような疑いと批判の目に晒されながらも、決して自らの使徒としての信念を曲げることはしませんでした。否、これは単に、その信念の中に頑なにしがみついているというよりは、ただただ、あのキリストに出会って触れて頂いた恵みがもたらす、パウロの自由な決断と応答の姿に他なりません。

なぜでしょうか。パウロ自身の言葉で言えば、それは今日の最後にお読みした12節後半に記されています。「しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした。かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます」。そしてこの言葉は、前回も目に留めました19節の言葉にも受け継がれています。「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです」。

さらに、パウロはこの第一の手紙を書き記した後、第二のコリントの信徒への手紙を書き送るのですけれども、彼はそこではっきり語っています「わたしが求めているのは、あなたがたの持ち物ではなく、あなたがた自身だからです。子は親のために財産を蓄える必要はなく、親が子のために蓄えなければならないのです」(12:14)。


このように、コリントの教会に対するパウロの使徒としての姿は、その内なる思いも、外なる振る舞いも、終始、時を経ても一貫して変わることはありませんでした。しかし残念ながら、パウロの真意は十分には理解されなかった。教会から経済的援助を受けない、というパウロの外なる振る舞いは、使徒としての尊敬や権威を集めるどころか、逆にコリントの人々にとっては、ただその権威を下げるものにしか映らなかったのです。

ここに、真実を見抜くことができない人間の目の貧しさが浮き彫りにされているのではないでしょうか。私たちは既に、パウロの働き無しには今日の教会は無かったとさえ言える程に、使徒パウロの偉大な姿を知っています。そのように現在の私たちの目には明らかな事が、どうして当時の教会には分かってもらえなかったのか。

もちろんこれは、元々コリントの教会の人々の話です。しかしこれは、時として私たち自身の問題ともなることでしょう。私たちは、ある人の姿をいつもこの目で見ていながら、しかしそれが必ずしも、その人を真実に理解する助けとはならず、かえって誤解をしてしまうということは、よくあることです。私たちの弱さ、そして深い罪の故です。パウロがキリストを見るように、私たちもキリストを見ることができているだろうか。あるいは、キリストご自身がパウロを見つめ、その存在に触れて用いておられるその眼差しで、私たちもパウロを見つめることができるだろうか。

私たちは今日、あらためてこの「真実を見抜く目」を、ここから学び取りたいと願うのです。しかしただ、眺めるのではありません。目で触るようにしながら、パウロの姿に、そしてキリストのお姿に近づきたい。そしてその上でこそ、今日の4節以降でしきりにパウロが強調していた自分の持っている様々な「権利」についても、理解が可能となるのです。


いったい、使徒としての権利を捨てているはずのパウロが、しかしここで逆行するように、自分の権利を主張しているのはなぜなのでしょうか。彼はまず、「わたしたちには、食べたり、飲んだりする権利が全くないのですか」と言いました。

言うまでもなく、飲み食いは、人間の生活の最も基本的な事です。食べなければ生きてゆけないし、何をどう食べるかも基本的に自由であるはずです。その権利が、この私には全くないとでも言うのか。パウロはそう問いかけます。なぜこんなことを問うたのでしょうか。

実はパウロは、第8章の最後で、偶像に供えられた肉を巡って、自分はその信仰によって何ら罪悪感なく食べる自由があるけれども、もしその姿を見て信仰の弱い者たちを躓かせてしまうくらいなら、「私は今後決して肉を口にしない」とまで言い切りました(32節)。

しかしまさにその口にしないという態度が、コリント教会の人々の目には不審に映ったのです。「パウロの考えは古い。宗教の呪いに縛られている。使徒なのに軟弱だ」という評価に繋がってしまった。しかしパウロにしてみれば、それは全くの誤解でした。肉を口にしないのは、信仰が弱いからではなく、むしろそれを食べる権利も、自由もある中で、しかしまさにその自由において、食べる権利を手放しているからに他ならない。そうパウロは言ったかったはずです。

5節以下に続くその他の権利も、同じ思いから主張されています。結婚をする権利、あるいは伝道者として専念するために、わざわざ他の仕事をしないで済む権利、つまり教会から経済的援助を受ける権利というのも、パウロが使徒である限り、本来的に、他の使徒たちと同じように持っていて当然ではないか。しかしその権利を持っているということと、それを用いるかどうかは別なのだ。

教会から経済的援助を受ける権利というのは、特に今日の箇所の背景としては重要な事柄でした。本日併せてお読みした旧約聖書の民数記第18章21節以下も、実はそのことと関係している所です。 ここには、イスラエルの地で祭司としての働くレビ人が、自分たちの土地を持つのではなく、他の部族たちの献納物の十分の一がレビ人に与えられることで、彼らの生活が支えられてゆくということが定められています。つまり、神とイスラエルの民との仲立ちをするという霊的な務めを負うレビ人は、その恩恵を受ける人々からの物質的な奉仕よって、その生活が支えられなければならないのです。

7節以降も、報酬を受ける権利について、パウロは譬えを用いてさらに語り続けます。いったい誰が自腹を切ってただで戦争に行くだろうか。畑仕事をしたなら、その実を食べない者等いるだろうか。羊を飼っているならば、その乳を飲まない者がいるだろうか。否、何よりもあのモーセの律法が、その報酬を保証していたではないか。「脱穀している牛に口籠をはめてはならない」。つまり口籠を外してやって、牛に穀物を食べさせてあげなさい。牛に対してもそうなのだから、ましてや神は人間に対して働いた分の報酬を得ることをなお強くお望みでいらっしゃるはずだ。だからパウロは言うのです。「わたしたちがあなたがたに霊的なものを蒔いたのなら、あなたがたから肉のものを刈り取ることは、行き過ぎでしょうか」(11節)。


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こうして、パウロは自らの使徒としての権利の正当性を畳みかけるように主張します。そして12節の前半でこう結論づけるのです。「他の人たちが、あなたがたに対するこの権利を持っているとすれば、わたしたちはなおさらそうではありませんか」。コリントの教会には、パウロ以外にも使徒たちがいたようですけれども、その彼らが教会に対して使徒の権利を持つのだとしたら、コリント教会の産みの親であるこの私にも、当然その権利はあるはずではないか。


はたして、何故ここまでパウロは力説する必要があったのでしょうか。これらの権利を、もう一度自分の手に収めたかったからでしょうか。12節後半の彼の言葉に聴きましょう。「しかし、わたしたちはこの権利を用いませんでした」。パウロはこれが言いたかった。自分に諸々の権利があることを認めさせたかったのではなく、その権利を用いずにいる自分の姿を知ってもらいたかった。権利を行使することで自由を享受するのではなく、むしろ本当の自由を既に得ているからこそ、自らの権利を手放すことさえできている己の真実なる姿を伝えたかった。そして、そのような姿へと駆り立てているキリストの姿をこそ届けたかった。

だから言うのです。「かえってキリストの福音を少しでも妨げてはならないと、すべてを耐え忍んでいます」。「キリストの福音を妨げてはならない」とはどういうことでしょうか。それは、自分が福音の邪魔にならないようにする、ということです。そして、福音にこそ力があることを信じるということでもありましょう。力があるのは自分ではなく、福音の方だ。福音そのものに本来力があるのに、そこに自分が使徒として余計な力や権利を行使することがあってはならない。かえって福音の道筋を邪魔するようなことがあってはならない。自分はただ、その福音が働く力に仕えるだけ。

私たちも、もしかしたら必要以上に力んでいるのかもしれません。力むことで真実が見抜けなくなり、目に覆いがかかって福音の働きを見失っているのかもしれません。福音の働き。それは宙に浮いたものではありません。今日のパウロの生き様に現れています。教会を造り上げる力となります。困難にあってもなお、教会がますます教会として立ってゆく真の力です。そして私たち自身の生活の中、また隣人の姿にも現れます。触れて来ます。

この、いよいよ私たちを通して働くキリストの福音の力に私たちも生かされ、用いられ、その実りを共に刈り取って参りましょう。


<祈り>

天の父よ。パウロを通して示された今日の福音の言葉を感謝します。福音は喜びです。喜びが人を突き動かします。その喜びにあって生かされる自由の中で、パウロがコリントの人々、そして私たちにもよく分かってもらいたいことが何であったか。そのことを心に刻んで歩み出すことができますように。この地に立てられた私たちの教会を、どうかあなたの御心に相応しく用い、生かし続けてください。主の御名によって祈ります。アーメン。


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