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失ってしまった大切なもの

更新日:5月4日

2025年4月27日 主日礼拝説教

詩篇114:8

ヨハネによる福音書7:37~44

 

天の父なる神様 この説教が、純粋に正しくみ言葉を伝えるものでありますように!そこでみ言葉の力が私達のうちに完全に発揮されますように。私達の魂に入り、私達に触れる様に語り掛け、私達を点検し、私達の思いと感情を整えて下さい。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

 

祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。「渇いている人は誰でも、私の所へ来て飲みなさい。」私を信じる者は、聖書に書いてある通り、その人から生きた水が川となって流れ出るようになる。」イエスは、ご自分を信じる人々が受けようとしている〝霊〟について言われたのである。イエスは未だ栄光を受けておられなかったので、〝霊〟が未だ下っていなかったからである。(37~39)

 

仮庵の祭りの終わりの日にまた、主イエスが再び説教されました。初めは、祭りの半ばになった頃でした(14)。二回目の、祭りの終わりの日の説教を聞いた人達は、説教の受け止め方がそれぞれ互いに違っていて混乱したとある。こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じた(43)のです。

私達は今説教を聴いています。混乱するような聴き方をしないよう祈ります。対立が生じるような聴き方をしないように祈ります。私達は説教の聴き方も教えられて整えられていきたく願います。混乱ではなく、皆がまことの理解をする。対立ではなく、まことの一致に至る、そういう風に聴いていきたいのです。

 

渇いている人は誰でも、私の所へ来て飲みなさい。その人から生きた水が川となって流れ出る、水と川の話題です。この祭りの間、ギホンの泉やシロアム池から汲んできた水を祭壇に注ぐ儀式が行われました。七日目には水を持って祭壇の周りを七回回りました。この水の儀式の他に、もう一つ、水に関わる事があります。昔このエルサレムの神殿の敷石から水が湧き出ていたのです。シロアの水と呼ばれました。詩編46編5節を読んでみます。大河とその流れは、神の都に喜びを与える。いと高き神のいます聖所に。(Ps.46:5)敷石から湧き出る水に、イスラエルを救う神の御業を見て取り、神をたたえ歌っているのです。

 

祭壇に水を注ぐ儀式の行われる時、そして以前は水の湧き出ていた神殿で、主イエスは、真の泉は私であると告げるのです。真の水は私であると告げるのです。「渇いている人は誰でも、私の所へ来て飲みなさい。」私を信じる者は、聖書に書いてある通り、その人から生きた水が川となって流れ出るようになる。」

 

あなたは渇いていますか。渇いている人は誰でもと声を掛けて下さいました。私達は渇いている者、でしょうか。咽喉が渇く、それは体の中に大切な水分がないことです。渇いているとは、自分の中に大事なものがないことに気付くことです。悲しむ人には、喜びがないのです。悲しみにある人は、喜びに飢え渇くのです。弱さに悩む人には、強く生きる力がないのです。力に飢え渇くのです。悩みの中にある人には、真の慰めがないのです。慰めに飢え渇くのです。そうしてみると、確かに私達は渇いている人だと分かります。

渇きは、私達に欠けているものに気付くことだと申しました。罪によって身に着けてしまったものを、聖書は指摘しています。敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、妬み。(Gal.5:20)確かに罪によって身に着けてしまったことが、私たち自身を苦しめているのです。

自分を苦しめてしまう敵意以下のことは、アダムにおいて、ある大切なものを失ってしまった結果、なのです。人は初め、神に創造された時どのようなものとして創られたのでしょうか。天地万物は完成された(Gen.2:1)と告げる創世記は、人が創られた第六の日を特別の日とします。この第六の日の創造の働きを特別良い働きだったと、神ご自身が評価されている。を創造された第一の日の働きを、見て良しとされたと喜ばれました。第六の日には、見よ、それは極めて良かったと言われました。第六の日に丈、神は特別の強く喜ばれた。最高の評価をされた。人が創られたからです。

人は初め、これ程に神に喜ばれるものとして創られました。その、人が、神の言葉を守ることが出来ず、罪を犯しました。そして、神への愛を失ってしまいました。人への愛に欠けてしまいました。その愛を失ってしまった心、愛に欠けてしまった心にぽっかり空いた穴のような所に入ってきたのが敵意、争い、そねみ、怒り、利己心、不和、仲間争い、妬みなのです。敵意という人を憎む思いに苦しむ。人の言葉や行いに怒りを覚えて苦しむ。高く認められて成功した人に妬みを覚えて苦しむ。

 

特別に良い創造の働きをしたと神が喜ばれたあの初めの人と比べると、私達は何と大きな欠けがあるのでしょうか。極めて良かったと喜ばれた人を見ると、私達は何と大きなものを失っているのでしょうか。

神のみ言葉を守るという神への愛を失ってしまっている、自分の様に隣人を愛する愛を失ってしまっている。

そのことに気付くこと、それを主イエスは渇いている人と言われたのです。

この主イエスの言葉に促されるようにして、私達は自分が渇いている人だと気付くのです。人に敵意を覚える時、自分の中に大事なものが失われていることに気付きます。怒りにかられる時、とても大切なものが自分にないと感じさせられます。人を妬む時、本当に重要なものが自分にないと、感じます。初めはあったのに、今、それがないのです。

失ってしまった大切なものに気付く私達に、大声で告げて下さる。心のこもった呼びかけです。私の所へ来て飲みなさい。主キリストのところへ来て、水を頂き、渇きを癒される、そう勧められています。それは、渇きを癒す力を持つ水です。力強い水です。どの位強いか。この水を頂いて飲むと、失った本当に重要なものを回復してもらえるのです。回復力のある力強い水、それは、救いを生み出す主キリストのみ言葉です。主キリストのみ言葉をまるで飲むように自分の中に受け入れる時、それが私達を回復して下さるのです。本当に重要なものを回復して下さるのです。

 

この水は何処にあるのか。私の所へ来てと言われる。主キリストのところへ来るとその水はある。主キリストのみ言葉があるところです。確信しておきましょう。主の教会へ、み言葉を聴いて礼拝を捧げに来ること。

 

主キリストのところへ来れたことを覚え、救いのみ言葉を受け入れたことを覚え、本当に大切なものを回復するように勧められた者としてこの一週間を過ごします。

 

天の父、本当に重要なものを失っていた者に、それを回復する救いをお与え下さったこと、深く感謝致します。み子イエスは、誰でも来て飲みなさいと言われました。全ての人が、渇きを覚えて、み子イエスの所に来れるようにあなたの強い働きを願います。その方達のために、主キリストを証しする生き方が出来ます様に。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

 

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