3月22日「永遠の命を与える主イエス」
- 3月28日
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『詩編』121:1~6
『ヨハネ福音書』17:1~5
祈ります。
天の父、あなたを知り、主イエス・キリストを知ることの意味をお教え下さい。主の御名によって祈ります、アーメン。
天を仰いで言われた。「父よ、時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現わすようになるために、子に栄光をお与え下さい。天を仰がれる主がいます。
天を仰ぐという時、日本語では、「嘆く、絶望する」ことを表します。「絶好のチャンスを逸して天を仰ぐ」などと使います。しかし、この時天を仰がれる主のお気持ちは、「嘆く、絶望する」こととはまるで違います。
天は神がおられるところを表します。弟子達の求めに応じるように教えられた祈りの教えがあります。主が、祈りの模範として弟子達にお教えになったものです。主の祈りと言われて、礼拝毎に捧げています。祈りを捧げ、届ける方をどの様に呼び掛けると教えて下さいましたか。「天に居られる私達の父よ」と教えられたのです(マタイ6:9)。
天という所に神が住んでおられるという意味ではありません。天も大空も神が創造されたものです。天地万物をお造りになった神をほめたたえるのに、天や大空が挙げられるのです。天は神の栄光を物語り、大空は御手の業を示す。(詩編19:1)
見えない神はあそこに居られる、ここに居られるという風に考えるのではなく、どこにでもいて下さるのです。その神が御自分をお現しになる時、天から御言葉を告げられる、天にご自身の栄光を現わされる、というように聖書は告げているのです。
天を仰いで言われたというのは、父なる神に祈りを捧げる様子を表しているのです。父なる神と対話する姿勢を表しているのです。
あなたは子に全ての人を支配する権能をお与えになりました。その為に、子はあなたから委ねられた人全てに、永遠の命を与えることが出来るのです。(2節)主の心を満たし、占領しているのは全ての人のことです。1節で子に栄光をお与え下さいと、御自分の栄光をお求めになりました。しかしそれは、御自分がほめたたえられるためではありません。御自分が偉くなるためではありません。全ての人のためです。弟子達の為、私達の為なのです。
所で、今皆さんの心を占めていることは何ですか。主は人の心をよくご存じです。この主の御言葉によって、自分とは何かをよく理解させていただきました。あなたの富のある所に、あなたの心もある、という御言葉です(マタイ6:21)。あなたの欲しいもの、あなたのしたいこと、あなたの得になること、あなたの喜べること、そこにあなたの心もあると主は言われる。
アダムとエバを思い出してみましょう。蛇に誘惑されて、二人の心はどこに行ったのですか。神の言葉を守ることにあった二人の心は、禁じられていた木の実に心が移っていくのです。その木はいかにも美味しそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた、のです(創世記3:6)。木の実のあるところに二人の心もあったのです。
もう一度問います、今皆さんの心を占めていることは何ですか。それぞれにお答えされるでしょう。
それと並べて考えてみましょう。主の心を満たしているものは一体何か。主の思いを占領しているのは何か。主の心はどこにあるのか。あなたから委ねられた人全てのことが心にあるのです。その全ての人に、永遠の命を与えることが、宝ものと言っていい大切なことなのだと主は言われるのです。主の心は、神から委ねられた私達にあるのです。永遠の命を私達にお与え下さることに主の心があるのです。主の心は、私達のことでいっぱいなのです。
イスラエルは神の選びの民でしたが、繰り返し繰り返し神の恵みの背く民でした。預言者ホセアが嘆きの預言をするほどでした。何と災いなことか。彼らは私から離れ去った。私に背いたから、彼らは滅びる(ホセア7:13)。その背く民イスラエルを神は回復されるのです。限りない恵みによって再び、神の祝福を与えるのです。測り知れない恵みです。その幸いをパウロはこう歌っています。一体誰が主の心を知っていたであろうか(ローマ11:34)。
その主の心が今、明らかにされています。主の心には、神から委ねられた私達があるのです。永遠の命を私達に与えようとして下さる思いが主の心にはあるのです。主の心は、私達のことでいっぱいなのです。
あなたは子に全ての人を支配する権能をお与えになりました。その為に、子はあなたから委ねられた人全てに、永遠の命を与えることが出来るのです。(2節)支配する権能が主に与えられました。この訳は、主イエスに神がお与えになった力が支配する力であり、神の権威がある力だと教えてくれています。元は一つの言葉で、「力」という言葉です。全ての人に及ぶ力が与えられたということです。
主はその力をどの様に発揮されるのですか。その為に、子はあなたから委ねられた人全てに、永遠の命を与えることが出来るのですとあります。全ての人に及ぶ力が与えられたから、その力を、委ねられた人全てに、永遠の命を与えるのに使います、父なる神、その様に致します、と祈られたのです。
では、永遠の命とは何か。
永遠の命とは、唯一の真の神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。永遠の命を一番多く伝えているのがヨハネ福音書です。永遠の命の福音書と呼んでもよさそうです。まず、永遠の命とは知ることだと言います。神を知る、主イエスを知ることです。
知るとはどういうことか。皆さんは、私の名前を知っていますか。コートジボワールの首都の名を知っていますか(ヤムスクロ)。そういう時も、知ると言います。どうもそういう何々、誰々を知っているという意味ではなさそうです。辞書、辞典を調べて知るのではないのです。
主が力によって、永遠の命を与えると言われました。それなら、永遠の命とは知ることなのですから、主が力によって、知ることも与えて下さるもの、と言えます。永遠の命を頂くのと同じ様に、知ることも頂くのです。
知ることを頂くという言い方は馴染みがありません。知ることへと手引きされる、知ることへと導かれると言えば聞きやすくなりますか。
私達の感覚からすれば、信仰を求めることを求道生活と言います。神に喜ばれる信仰生活を目指す、と言います。牧師になりたいと献身の志を持つと言います。希望を神に見出していきたいと願います。
実は、そういうことが、私達の感覚とは違って、神から与えられるものだと主は言われる。求道生活をあなたに与える。神に喜ばれる生き方を与える、献身を与える、希望を与えると言われるのです。主がお与え下さるのですから、それは何よりも確かなものなのです。
主から受けるものだと言いました。信仰についてパウロの教えを聴いてみます。神が各自に分け与えて下さった信仰、(ローマ12:3)聖霊によらなければ誰も「イエスは主である」と言えない、(Ⅰコリント12:3)とあります。分け与えて下さる、とあります。分け与える動作で主の御業を思い出します。少年の差し出したパンと魚を、主は感謝の祈りを唱え、人々に分け与えられた(ヨハネ6:11)。イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、弟子達に与えた(マタイ26:26)。
私達は神を知っているか。神を知る、という表現は旧約聖書の大きな特色です。明確に伝えているのは詩編の100:3「知れ、主こそ神であると。」旧約全体を代表して言う時、律法と言います。律法の中心的なこと全部を伝える最も短い聖句は何でしょうか。
主がお教えになった、神と隣人を愛することと言ってよいでしょう。但し、
もっと短い聖句があるのです。それは「主を覚えよ」(箴言3:6)。神を知りなさいという意味です。新約に生きる私達にとっては、主イエスを覚えよ、主イエスを知りなさい、と聴きとればいいでしょう。では、主イエスを知るとはどういうことでしょう。主をよく知っていると思っていたある弟子が、復活の主に出会って、あなたの手を私の脇腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。と告げられました。その時、その弟子は答えます、「私の主、私の神よ。」(ヨハネ20:28)神を知るとは、私の神だと知ることです。私に語り掛け、私の為に十字架にかかり、私の為に復活された主だと知ることです。主を覚える一週間を過ごしましょう。
天の父、今私達が、あなたによって主キリストに委ねられている、預けられている、託されていることを告げられました。主の御力によって与えられた永遠の命を確かに受け取り、神を知る者とされていることによって生きていけます様に。私の主、私の神よ!と信仰を告白していけます様に。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
