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5月24日 「聖霊なる神によりキリストの証人とされる」 牧師 伊藤節雄

  • 6月6日
  • 読了時間: 7分

『レビ記』23:1~3  

『使徒言行録』2:1~13

 

祈ります。

天の父、聖霊降臨日を覚えることの意味をお教え下さい。主の御名によって祈ります、アーメン。

 

聖霊降臨日を祝うとは、主の教会の誕生をお祝いすることです。それは、使徒言行録の伝えている聖霊降臨の出来事を、嬉しい喜びの思い出として記念するだけではありません。お祝いする今も、聖霊なる神を新しく受け止めて、神の御言葉を新しく宣べ伝え、新しく聴きとめることへと、聖霊なる神によって押し出されることなのです。

そうすると、毎週の礼拝でいつも聖霊降臨日を祝うことが行われているのだと気付くのです。そのことを、この聖霊降臨日に確認するのです。私達教会は、礼拝の度に、聖霊なる神を新しく受け止めて、福音を宣べ伝え、与えられた主の御言葉にお答えし、聖霊なる神によって押し出されるように礼拝の場からおくりだされるのです。

使徒言行録をルカ福音書は同じ人に書かれました。ルカ福音書が第一巻(使徒言行六1:1)と書かれています。この二つは、前編と後編の様になっています。二つで一まとまりです。この一まとまりを見ると、神の救いの御業の時代が、三つに分けられていることが分かります。第一は旧約から洗礼のヨハネ迄。律法と預言者は、ヨハネの時までである、とルカが伝えてくれます(ルカ16:16)。第二は主イエスの御言葉とお働きの期間。皆はイエスを誉め、その口から出る恵み深い言葉に驚いた、とこれもルカが伝えています(ルカ4:22)。第三は、主イエスが天にお昇りになった後の時代です。ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らが私達の言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは、今日私達が読んでいる使徒言行録2:11です。

三つの時代は言い換えれば、イスラエルによって神の御業が行われた時代、主イエスキリストによって神の御業が行われた時代、主の教会によって神の御業が行われた時代、となります。

この教会の時代が始まる出来事が、聖霊降臨日なのです。それは、マラソンのレースが始まる時の合図のピストルの音が鳴らされることに少し似ています。

場所は、どこで起きたのでしょう。そして誰に聖霊は注がれたのでしょう。一同が一つになって集まっている所です。集まっている一同に聖霊が与えられたのです。(1節)二つ注目したい言葉があります。先ず「一同」です。みんなに聖霊なる神がお臨みになったのです。ペトロに、とかマリアに丈ではないのです。この後で説教をしたペトロだけにお臨みになったのではありません。「一同」です。みんなにです。隅にひっそりといた方にも、私達には名前も知らされていない方にも、みんなにです。神が教会をどうご覧になっているのか。教会にどう期待されておられるのか。神は、一同をご覧になっておられる、みんなに期待されておられるのです。だから、みんなに聖霊なる神がお臨みになったのです。

二つ目注目したいのは「集まっている」所です。それはどこだったのでしょう。1章13節に泊まっていた家の上の部屋という言葉があります。その部屋で彼等は皆、婦人たちやイエスの母マリア、又イエスの兄弟達と心を合わせて熱心に祈っていたのです(1:14)。聖霊なる神は、祈るために集まっていたみんなにお臨みになったのです。

集まるという言葉で直ぐに思い出す御言葉は何ですか。旧約の伝えるユダの王ヨシャファトの時代、大軍で攻め込まれた時、主を求め、そしてユダの全ての人に断食を呼び掛けたのです。その時ユダの人々は主を求めて集まった。ユダの全ての町から人々が主を求めて集まって来た、のです(歴代誌下20:4)。新約では、この御言葉です、二人または三人が私の名によって集まる所には、私もその中にいる(マタイ18:20)。

では、集まるとはどういうことでしょう。聖霊なる神がお臨みになって下さる集まりとは、どんな集まりなのでしょう。主を求めて集まる集まり、主の名によって集まる集まり、心を合わせて熱心に祈る集まり、とはどんな集まりなのでしょう。ヨシャファトの時、主を求めて集まった人々は、実際に何をしに集まったのでしょうか。聞きましょう。ヨシャファトは地にひれ伏し、全てのユダとエルサレムの住民も主の御前に伏して、主を礼拝した(歴代誌下20:18)。

 

聖霊なる神が一同みんなにお臨みになることを、使徒言行録は、風が吹いてくるような音が聞こえ、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上に留まった(2~3節)と伝えています。と聖霊は同じ<吹く>という言葉から出来ています。は聖霊のお働きがそこにあると示す言葉です。音は、神のお働きを表す言葉です。モーセに十戒が与えられる時それが神の御業だと表したのがこの音でした。三日目の朝になると、雷鳴と稲妻と厚い雲が山に臨み、角笛の音(ね)が鋭く鳴り響いたことを思い出しましょう(出エジプト19:16)。炎もまたそこに神がお臨みになっていることを表します。モーセがイスラエルをエジプトの奴隷状態から解放する指導者として神から使命を与えられた時です。モーセは燃え上がっている炎を見るのでした。その時、柴の間に燃え上がっている炎の中に主のみ使いが現れたのです。(出エジプト3:2)風、音、炎、いずれも聖霊降臨が神の御業であることを示すしるしなのです。

特に覚えたい言葉が「」です。これも神から福音の言葉が与えられたことを示す徴です。それで4節に、一同は聖霊に満たされ、“霊”が語らせるままに、他の国々の言葉で話し出した、と続くのです。

 

他の国々の言葉で救い主キリストの福音を語り出したのです。一体幾つの国、地域だと伝えられていますか。これを数えてみた方はいらっしゃいますか。9節から11節迄。15の国や地域です。15の言語で福音が宣教されたということです。やがて主の教会が広がって行ったことを思わせる言葉です。

 

このことが起きた日を五旬祭の日と呼んでいます。旬とは10日間ですから、五旬祭は五十日目の祭ということで、この五十日目をギリシャ語でペンテコステというのです。

旧約では「小麦の収穫の初穂の時に、七週祭を祝いなさい」とあり(出エジプト34:22)、五旬祭は元は収穫感謝祭でした。旧約時代は、イスラエルが、小麦の収穫をして祝ったのです。

使徒言行録では、誰が何を収穫して祝うのでしょう。聖霊なる神を送って下さった神が、神の御業を伝える教会を収穫して祝って下さるのです。神の収穫物は、福音を語り、福音を聴く教会なのです。教会は神の御業を救いの言葉として語り、聴くのです、それこそが神にとっての五旬祭、収穫感謝祭なのです。事実、11節、彼らが私達の言葉で神の偉大な業を語っていることになったのです。

 

この聖書では、舌・音・炎・風という徴で聖霊なる神が教会に臨み、働いておられるのを伝えています。その聖霊なる神の働きが、「語る」、(4,6,7,11節)と「聞く」(6,8,11節)という出来事が繰り返されて明らかにされているのです。

教会が、福音を語ることこそ、聖霊降臨日に神が手にされる収穫物なのです。教会は神の収穫物になる。使徒言行録1:8を読んでみましょう。あなた方の上に聖霊が降ると、あなた方は力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、又、地の果てに至るまで、私の証人となる。

聴くことも大事です。「聞く」ということの繰り返しに聖霊なる神のお働きが鮮やかに見えるのです。見ないといけない。神の御言葉、福音の御言葉を浴びるように聴くのです。8節に深く味わえる御言葉があります。生まれた故郷の言葉を聞く、とあります。故郷の言葉、それは故郷の方言とも言える言葉です。3か月ほど前に、穂高の自動車教習所で、私と同世代の方がこう言われたのです。「わし等も番が来たらやってもらえるずら。」私の故郷の方言です。一瞬にして親しみを覚えました。これと似ています。あなたの生まれた故郷の言葉を聞く様に、親しみを覚えて福音を聴きなさい。

11節にもあります。私達の言葉で神の偉大な業を語っているのを聞く、とあります。私の心となる御言葉として聴く、自分の思いとなるように聴く、わたしの夢となる御言葉として聴くのです。

教会は長い歴史の中で果たしてきた役割は色々ありました。例としては、修道院の働きの中でなされた医療活動、教育、等は特に挙げられるでしょう。山上の説教に勧められている平和を創り出す働きもしてきました。しかしそのどの働きにおいても土台、基礎となることは、主キリストの証人として福音を宣べ伝えることなのです。

聖霊降臨日を祝うとは、主の教会の誕生をお祝いすることです。それは、聖霊降臨の出来事を、嬉しい喜びの思い出として記念するだけではありません。お祝いする今も、聖霊なる神を新しく受け止めて、神の御言葉を新しく宣べ伝え、新しく聴きとめることへと、聖霊なる神によって押し出されることなのです。主キリストの証人として、この一週を過ごします。

 

天の父、聖霊なる神が今も私達教会に臨み、働いて下さることを心より感謝致します。福音を聴き、語る時あなたのお喜び下さる収穫物としての教会に成れます様に。言葉において、行いにおいて主キリストの証人に相応しく生きる私達として下さい。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

 
 
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