10月26日 墓前礼拝説教 「走り抜く競争」
- 教会 松本東
- 11月13日
- 読了時間: 3分
『創世記』22:2,9~12
『ヘブライ人への手紙』12:1~7
おびただしい証人の群れに囲まれている以上、全ての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走り抜こうではありませんか。
そこにある墓碑には天に召された方達のお名前が刻まれています。そのお名前の方はあなたにとって、どういうお方でしたか。そこに名前を刻まれた方は、
優しい方でしたか、厳格な方でしたか。
どの様にあなたを守り、支えてくれましたか。
愉快で、よく笑わせて下さった方でしょうか。
物静かで、落ち着いておられた方でしたか。
怒ると恐いお方でしたでしょうか。
本が好きで、本が友達のような方でしたか。
絵が好きでよく美術館に行き、ラファエロがいい、とおっしゃるような方でしたか。
歌が好きでその唇からいつも歌が流れていましたか、時に大声で、時に鼻歌で。
いつも何かしら仕事を見つけて働くお方でしたか。
変わった趣味、又、多くの趣味があってそれを楽しむお方でしたか。
疲れた、喉が渇いた、嬉しい、悲しいとわざわざ理由をつけてビールを飲む方でしたか。
いつも夢を描き、夢を語る方でしたか。
記憶力が良くて色んなことを覚えておられましたか。
なかなか学習出来なくて、同じ失敗を何度も繰り返しましたか。
今、それを思い出し、鮮やかに心に映し出し、心を温めて下さい。
礼拝後に、許されたなら、それを私に教えて下さい。
さて、聖書には、大変多くの信仰の先輩が出てきます。朗読したヘブライ人への手紙の11章には、ざっとですが数えると、18名のことが告げられています。預言者達は多くて各自の名前はなく、唯「預言者達」とだけ書かれています。その大勢の信仰の先輩の代表とでも言えるのは、アブラハム、モーセ、ダビデです。
その大勢が、私達の信仰生活を応援するおびただしい証人の群れと聖書は言うのです。私達の信仰生活を重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競争を忍耐強く走ることに例えていますね。私達はマラソンランナー、道沿いには大勢の応援団。その中にはアブラハムもモーセもダビデもいる、というのです。私自身はヨセフ物語が好きですので、応援団のなかのヨセフも覚えたく思います。
この応援団の中に、墓碑にお名前が刻まれた方達もいらっしゃることに気付いていますか。優しかったあの方、厳格だったあの方、あなたを守り、支えてくれたあの方、思い出し、鮮やかに心に映し出したあの方が、アブラハムと共に応援してくれていることに気付いていますか。応援の声があなたの信仰の耳に届いていませんか。届いていると聖書は教えるのです。おびただしい証人の群れに囲まれていると言うのですから。
応援をされたら、私達は走るのです。自分に定められている競争をするのです。神に定められた競争、それは神から与えられる、あなたにしか取り組めない使命のことです。負うべき責任のことです。ノアは信仰によって箱舟を造りました。あなたは何を造るのですか。アブラハムは、信仰によって、行く先も知らずに出発しました。あなたは何処に、いつ出発するのですか。モーセは、信仰によって、イスラエルの人々のエジプトよりの解放を導きました。あなたは何を導くのですか。
皆違う、それぞれに定められている神の使命を担うのです。あなたにはどんな使命が与えられていますか。それを果たし抜こうではありませんか。
天の父、御許に召された大好きな故人を偲ぶ礼拝を捧げることが出来ました。心を温められ感謝致します。多くの証人の中に、その懐かしい召された者も仲間とせられて、私達を応援するその声に励まされ、あなたから与えられている私達の使命、自分の使命を果たす生き方をお与え下さい。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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