11月9日 「ヨハネによる主キリストのまとめ」
- 教会 松本東
- 11月13日
- 読了時間: 4分
『申命記』11:26
『ヨハネ福音書』12:44~50
この44節から50節までは今迄主がお語りになったり、御業をなさったりしたことをまとめて説明されているところです。 後で引用するマルコ福音書の言葉を使うと、主の宣教の要約と言ってもいい。13章からは、主の十字架を集中的に伝えたいという事から、その直前に、今迄の主のみ言葉と御業をまとめておこうとしたと受け取りましょう。何事でも、正しく、正確に理解するためによく使う方法が、全体の要約・まとめをしてみることです。聖書を読む時、この要約してみる、あるいはまとめてみるというのはとても役立つと思えます。中心になる言葉、大切な言葉を見つけて、主の福音を深く豊かに理解できるからです。
① 主イエスを信じることは、神を信じる事。
② 主を見ることは神を見る事。
③ 主が来られたのは、信じる者が、闇から解放されるため。
④ 主は裁くためではなく、世を救うためにこられた。
⑤ 不信仰の裁きは終わりの日に来る事。
⑥ 主の言葉は神の言葉。
⑦ 主の言葉は永遠の命。
闇から解放される、という要約ですが、8:12で私は世の光。従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ、と言われています(ヨハネ8:12)。裁くためではなく、世を救うためにこられた、という要約ですが、3:17で、御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、世が救われるため、と言われています。
自分勝手に語ったのではなく、私をお遣わしになった父が、私の言うべきこと、語るべきことをお命じになった。49節の主のみ言葉です。主は、よくお話しをされました。大勢の群衆に向かっても、弟子達に向かっても、たった一人の方に向かっても、お話しをされました。救い主の生涯をお始めになった時、何から始めらたか思い出してみましょう。その直前には、洗礼のヨハネから洗礼をお受けになりました。直ぐ荒れ野でのサタンによる誘惑を受け、誘惑を退けられました。そして、さあいよいよ救い主としてお進みになるという時、何から始められましたか。マルコ福音書が伝えています。それは、お話しをされることでした。
ただ、「お話し」という言葉を聖書は使っていません。宣べ伝えになられた、お語りになったという風になっています。イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」始められたのは、神の福音を宣べ伝えられることでした(マルコ1:14)。福音をお語りになることでした。主のなさった御業も、いつも福音の宣べ伝えの中に含まれていたのです。主のみ言葉がなさった御業ということですから。
主イエスのみ言葉は、神と関係なく自分勝手に語ったようなものではないと言われます。反対に父なる神が、お命じになったみ言葉だということです。それは神の力がそのまま入っているみ言葉、神の力を持っているみ言葉です。新しく創り出したりする力があるみ言葉です。「光あれ。」という神の御言葉が光を創られた、その力が主イエスのお語りになるみ言葉にもあるというのです。
魚を獲るのが仕事だったペトロとアンデレに主が言葉をお掛けになりました。父なる神がお命じになった新しく創り出す力に満ちたみ言葉です。二人の中に力強く働いて光を生み出されます。その光は、主の弟子とされることでした。弟子となって、やがて福音を伝える者幸いな者とされることでした。二人にお掛けになった言葉は「私について来なさい。人間をとる漁師にしよう。」(マルコ1:17)この主の語り掛けられたみ言葉が、二人の中に働くのです。二人は直ぐに網を捨てて従った、のです(マルコ1:18)。
深い心配りによって支えて下さるのです。詩編はその主なる神の御支えを歌います。「身を横たえて眠り、また目覚めます。主が支えて下さいます。多くの民に包囲されても決して恐れません。」(詩編3:6~7)詩編がその様に歌い、讃えている深い心配りによって支えて下さる神の力が、主イエスのお語りになるみ言葉にもあるというのです。
天の父、光のあるうちに、光を信じなさいと教えられました。信じる事、決断すること、献身することにおいて今を大切にすることが出来ます様に。万事が益となるよう共に働くことを信じて、不信仰さえあなたの救いの御業を進めるためにお使い下さることを見つめて生きていけます様に。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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