12月21日 「降誕」
- 教会 松本東
- 2025年12月31日
- 読了時間: 8分
『イザヤ書』7:10~17
『ルカ福音書』2:1~20
祈ります。
天の父、幼子イエス・キリストのお生まれになったことの意味をお教え下さい。主の御名によって祈ります、アーメン。
マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。生まれた子供のかわいさを表す時、「目に入れても痛くない」と言います。与えられた子供を、嬉しいと喜ぶ表現でもあるでしょう。生まれたばかりの幼子の周りには、喜びがあふれ、心が暖かくされ、希望に輝きます。またそれとは別に不安や戸惑いが生じます。直ぐ始まる責任の重さが重いからです。かわいさに喜び、重い責任を覚悟する、そんなあれこれの思いを親は幼子の前で感じます。
ヨセフとマリアは、どの様に喜び、また責任を担う覚悟をしたでしょうか。
羊飼い達が野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていたのです。その時は、夜、でした。誰もかれもが眠っていました。狼に襲われぬよう羊の番をする羊飼い達ぐらいしか起きてはいませんでした。だから、周りを照らした主の栄光の明るさに気付いたのは、他には誰もいませんでした。
夜通し羊の群れの番をしていた。夜です。東の国の占星術の学者達が幼子を礼拝したのも導く星の輝く夜です。夜というのは何か大事なことを告げようとしていると思えませんか。
聖書は「夜」を大事なものとして教えています。夜はあなたのものです、と歌います。夜は神のものですと歌っています。(詩編74:16)夜、主の歌が私と共にある、私の命の神への祈りが、と歌います。(詩編42:9)教会が大切にしている聖餐式の制定の言葉はどうか。主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、感謝の祈りを献げられました。(Ⅱコリント11:23~24)神が特別に大切な御業をなさる時が夜なのです。夜にはそういう働き給う神を見出すことが出来るのです。
しかし、その大切さに気付かない人は皆眠っていました。神だけが救いの御業をなさっておられたのです。
この神だけが救いの御業をなさっておられたというところに、全世界が喜ぶ理由があるのです。マリアは天使ガブリエルに「男の子を産む」と告げられました。「おめでとう」と告げられた時には戸惑い、「男の子を産む」と告げられると「どうしてそんなことがあり得ましょう」と疑いました。不安と疑いの中にいたマリアに神の御言葉が届きます、「神に出来ないことは何一つない。」(ルカ1:37)
この出来ないことは何一つない神を、私達教会は<全能の父なる神を信ず>、と信仰告白をしているのです。クリスマスの出来事において、この神だけが唯お一人で御業をなさっておられたのです。
この全能の神の御前に立つ時、私達の力はどの様な力でしょうか。話す言葉一つ取っても、どれ程頼りないかものでしょうか。どれ程不確かなことでしょう。他人の顔色を見て、はいと言ったりいいえと言ったりしてしまう。昨日言ったことと今日言うことがまるで違う事が起こる。
聖書の中で聴くのが大変つらいみ言葉があります。「私は全能の神である。あなたは私に従って歩み、全き者となりなさい。」(創世記17:1)神の御前で完全な者になりなさいと言われる。この主なる神は、目に映ることを見ず、心を見る御方です。(Ⅰサムエル16:7)私達は心を見通されています。見せ掛けは通用しない。誤魔化しも効かない。信仰生活は、この神にどう思われるかを考えて進めて行くものです。
全き者となりなさいというみ言葉を、大変つらい気持ちで聞くと申しました。この御言葉に適わない自分をよく知っているからです。神がご覧になっている所で、完全な者になれないことをよく知っているからです。私達は罪人なのです。
しかし、その不完全な世界で、クリスマスの出来事は起きたのです。人が眠っている間に、全能の神がお働きになり、お与え下さったのです。少しの欠点も失敗もない完全な出来事としてクリスマスをご用意下さり、お与え下さったのです。夜通し羊の番をしていた羊飼いに救い主誕生の福音が伝えられたとはそういう事なのです。
欠けも失敗も多い私達がクリスマスを用意し創り出したのではない。全能の神が用意し、どうぞ受け取りなさいと差し出して下さったのがクリスマスです。そこに、クリスマスの確かさがある。確かに喜びを覚えることが出来る。羊飼いに伝えられた言葉に「民全体に与えられる大きな喜びを告げる」という言葉がある。(10)そして羊飼いらは幼子を探し当てた後、神をあがめ、讃美しながら帰って行ったのです。(20)詩編を讃美しながらでしょうか。高められた心を共にしながらでしょうか。その様子に、何よりも喜びを感じ取れないでしょうか。
クリスマスの確かさを喜ぶ、それは神が用意し、お与え下さったからだと言いました。もう一つ、聖書は教えてくれます。
クリスマスを用意し、差し出すように神を促すものは何であったか。神は何の力に押し出されてクリスマスをお与え下さったのでしょうか。クリスマスの向こう側に何を見つけることが出来るでしょうか。昔、小学生の頃、クリスマスの朝目覚めると枕元にプレゼントがありました。ミルクキャラメル一箱。サンタクロースの、僕への思い、大事にしてくれる心、大好きだよ、大事に思っているよ、という思いが幼い私にもとてもよく分かりました。プレゼントの向こう側に、それを用意し、枕元に置いてくれた方の、自分をかわいいと抱きしめ、愛情を注いでくれている方を感じ取り、見出だすことが出来ました。
では、マリアが産み、飼い葉桶に寝かせた幼子の向こう側に何を見つけることが出来るでしょう。この幼子をプレゼントして下さった神の思いを感じ取り、受け取ります。その神の思いを、御言葉で感じ取ります。神は、その独り子をお与えになった程に、世を愛された。(ヨハネ3:16)神の、私達への思い、大事にしてくれる心、大好きだよ、大事に思っているよ、という思いがクリスマスを与えて下さったのです。
大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなた方の為に救い主がお生まれになった。主イエスの誕生を喜ぶのは、主イエスが救い主だからです。だから主イエスを救い主と信じる時、大きな喜びとなるのです。救い主とは、救いを創り出し、それを与えて下さる主という事です。主イエスはどの様な救いをお与え下さるのか。罪の裁きからの救いです。罪の為に下される刑罰からの救いです。それを罪からの救いと言うのです。
あなた方の為の救いとなっています。神が幼子をお与え下さったのは、その幼子が私達の救いとなるためだと、いうのです。この幼子がやがて、罪の裁きをお受けになって、私達を救われるというのです。罪の刑罰をお受けになって、私達を救って下さるというのです。あなた方の為に救い主がお生まれになったのです。
あなた方の為にとあります。これはあなた方に向かってとも訳せます。そういう風に表している聖書もあるのです。神は、あなたを目指し、あなたを目標にしてこの幼子をお送り下さったというのです。神はあなたをご覧になってあなたの両手にお送り下さったというのです。あなたの胸にこの幼子をお与え下さったという事です。今日この幼子を抱えて帰ります。幼子の与えて下さる救いを抱えて帰るのです。
チャールズ・ディケンズの小説に、『クリスマス・キャロル』というのがあります。主人公はスクルージ。意地悪で、心冷たく頑ななお爺さん。恵まれぬ方への寄付金は冷たく憎まれ口をきいて断り、クリスマスの食事へのお誘いを断り、店の使用人にクリスマス休暇を与えることを渋るのです。クリスマス・イヴに夢で、今迄の意地悪な自分の生活を見せられて、深く悔い改めるのです。そして晴れやかな優しい柔和な人としてクリスマスの朝を迎えたのです。幼子の与えて下さる救いを受けると、悔い改め、晴れやかな優しい柔和な人とされていくのです。
悔い改めることの幸いを告げる譬話を思い出します。見失った羊の譬です。探して見つけた時の羊飼いの喜びを譬えにして、私達の悔い改めを神がどれ程大きく喜んで下さるかを伝えています。悔い改める一人の罪人については、九十九人の正しい人についてもよりも大きな喜びが天にある。(ルカ15:7)
み使いは言われた「あなた方に与えられた喜び」と。私達が悔い改める時には、天に喜びがあふれる。私達の喜びと神の喜びとが出会う、それがクリスマスです。
悔い改めるとは神の御許に進み出る事です。放蕩息子が父親の許に帰って行ったように。羊飼い達は、飼い葉桶に寝る乳飲み子イエスの許に進み出ました。東の占星術の学者達も、家に入り、ひれ伏して幼子を礼拝するために進み出ました。私達も主イエス・キリストの御前に進み出て礼拝を献げているのです。今聞きましょう。悔い改める私達について大きな喜びを。天の喜び、それは神のお喜びです。聴きましょう、この天の喜びの声を!
神のお喜びの御声を聴きながらこの一週間を過ごします。
天の父、お与え下さった幼子を、この両手で受けさせて下さい。この胸に抱き留めさせて下さい。幼子のお与下さる救いに生きる者となれますように。み前に進み出て、罪の悔い改めをする者となれます様に。その時響く天の喜び、あなたの喜び、幼子の喜びを聴く者として下さい。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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