1月18日 「真理の霊」
- 教会 松本東
- 1月20日
- 読了時間: 7分
『詩編』51:12~14
『ヨハネ福音書』14:15~24
祈ります。
天の父、真理の霊、聖霊なる神が弁護者と示されている事の意味をお教え下さい。主の御名によって祈ります、アーメン。
主イエスのお別れの説教が続いています。13章1節では、イエスは、この世から父の許へ移る御自分の時が来たことをお悟りになったと言われています。更に、33節では、私が行く所にあなた達は来ることが出来ないと言われました。
この後復活されて私達は父の許へ移られたこと、父なる神の御許にお昇りになるのを見上げることは出来たけれども、あなた達は来ることが出来ないと言われたとおりになったことを、私達は聖書で知らされています。だから使徒信条で、<天に昇り、全能の父なる神の右に座し給えり>、と信じ告白するのです。
しかし、このお別れの説教を今聴いている弟子達には、今自分達がどういう事態に直面しているのかよく分からないで、混乱し、不安になっているのです。父の許へ移られるとはどういうことか分からず混乱しています。ついて行くことが出来ないとはどういうことか分からず、不安になっているのです。人は、その言葉の意味が分からない時、混乱します。その事態の意味が分からないと不安になります。
聖書の中で、その言葉の意味が分からずひどく混乱したという出来事を何か思い出されますか。その事態の意味が分からないでひどく不安に駆られたという誰かを何か思い出されますか。意味が分からないのですから、見当違いの反応をしてしまうことも起こるのです。私の場合は、主が十字架の予告をされた時の弟子達の反応を思い出します。
マルコ福音書では、主は三回十字架と復活の予告されたことが告げられています。十字架と復活の予告の意味が分からない。その主の御言葉の意味が分からない。とても深刻な出来事の予告です。その意味が分からず弟子達は混乱し、不安に駆られます。その混乱や不安をこう伝えます。一つはこうです。ペトロはイエスを脇へお連れして、諫め始めた。(マルコ8:32)「諫めた」という言葉は、「非難した」とも訳せる言葉です。ペトロが激しく混乱し、不安に駆られたことが分かります。もう一つ、弟子達はこの言葉が分からなかったが、怖くて尋ねられなかった。(マルコ9:32)質問することが怖い程に、立ち尽くす程に不安に駆られたことがわかります。
しかし、その混乱や不安と大きく違うことがあります。これは、お別れの説教だという点です。この世から父の許へお移りになるのです。ついて行くことが出来ない所へお昇りになるのです。もう今迄の様に主イエスと共に過ごす事が出来なくなる。主イエスの答えを聴くことが出来なくなる。御業を見ることが出来なくなるのです。この点が今迄の混乱や不安と大きく違うのです。
その様に、これからはお声も聞けず、お働きを見ることも出来なくなる弟子達に、約束が与えられます。私は父にお願いをしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなた方と一緒にいるようにして下さる。弁護者は、直ぐ後で真理の霊なるお方と説明されています。それで弁護者とは聖霊なる神だと分かります。
それを明らかにしてくれるみ言葉があります。26節を読んでみましょう。しかし、弁護者、即ち、父が私の名によってお遣わしになる聖霊が、あなた方に全てのことを教え、私が話したことをことごとく思い起こさせて下さる。弁護者、即ち聖霊なる神なのです。使徒信条で<我は聖霊を信ず>と信じ告白する聖霊なる神です。
聖霊なる神が弁護者と言われています。聖霊なる神のお働きを主が教えて下さっています。父なる神のお働きは創世記の1章1節が教えています。初めに神は天地を創造された(創世記1:1)。独り子なる神のお働きはクリスマスで聞いたばかりです。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである(マタイ1:21)。神を信ずという時、神が何をして下さったかをいつも受け止めて告白するのです。主イエスが何をして下さるかをいつも受け止めて告白するのです。聖霊なる神が何をして下さるかをいつも受け止めて告白するのです。
聖霊なる神が何をして下さるのか。弁護者と言われています。
弁護して下さる、そういうお働きをして下さるのが聖霊なる神だと言われています。少し不思議な感じがしませんか。父の許へ移られると主に言われて、ひどく混乱し不安に立ちすくんでいる弟子達に、別の弁護者が遣わされるから、安心しなさい、と言われたのです。弟子達は今、弁護される必要があるでしょうか。
確かに、いついかなる時も、神の御前に立つ時、私達はいつも自分の罪を思わざるを得ません。禁じられた、善悪の知識の木の実を採って食べたアダムとエバは、神の足音を聞いた時恐ろしさのあまり隠れてしまいました(創世記3:8~10)。隠れたいと思う程神を恐れるのです。神の言葉を破るという罪のせいで恐れるのです。その罪が裁かれ、刑罰を与えられるのを恐れるのです。
弟子達は、主イエスが居て下さる間は、この主が救い主と信じて、救いを受けて生きてきました。ペトロが答えた通り「あなたはメシア、生ける神の子です」と信仰を表して、救い主キリストの救いを受けて生きてきました(マタイ16:16)。罪に対する刑罰を恐れないでいい生き方をしてこれました。弟子たちが主に従うという時、師から教えを乞う事が第一という感じではありません。また、師から指導とか訓練を受けるという感覚も大事ですが主要なものではありません。メシアとしての救い主キリストの救いを受けていくということが何よりも大事な従い方でした。
主が父の許へ移られた後も、救いを受けて生きていけるのです。主が目の前から居なくなっても、罪に対する刑罰を恐れないでいい生き方を与えられるのです。父なる神が別の弁護者を遣わして下さるからです。この真理の霊は、弟子達を弁護して下さる聖霊なる神です。罪が問われる時、裁きの場に臨んで下さって、罪が赦されるために罪人を弁護して下さる弁護者なのです。
以上のことを弁えておきます。が、しかし、今残される弟子達に必要なのは弁護者でしょうか。心もとない弟子達にとって支えになるのは聖霊なる神の弁護の働きでしょうか。
この弁護者という言葉は、新約聖書の中で一番豊かな意味を持つ言葉です。その豊かさを示すよい例があります。日本語と英語が並べて載っている聖書があります。それを見ると、日本語では「弁護者」英語では「助け手」(助ける方)となっているのです。口語訳では「助け主」でした。文語訳でも「助主」。調べてみると、日本語だけでも7つの訳し方があります。「弁護者」「助け主」「慰め主」「助言する方」「執り成す方」「激励する方」「援助する方」以上。これの他に英語訳を加えると「カウンセラー」「寄り添って下さる方」「困っている人の友達となって下さる方」。
聖霊なる神がとても豊かな働きをして下さることを鮮やかに示しています。この豊かな働きをして下さる聖霊なる神が、永遠にあなた方と一緒にいるようにして下さる、と主はお約束して下さっています。
あなたが罪に苦しみ悩む時、弁護し、赦しを与える神に執り成して下さる聖霊を、あなたは受ける。
あなたが乗り越えられない困難に直面する時、援助の手を差し伸べ、励まして下さる聖霊を、あなたは受ける。
あなたが疑いに絡みつかれる時、その悩みを聴き、解決を与えて下さる聖霊を、あなたは受ける。
あなたが暗闇の中で希望を見出せずにいる時、寄り添い、光を指し示し、希望の言葉を与えて下さる聖霊を、あなたは受ける。
聖霊を受ける約束を頂きました。聖霊はどの様にして受けることが出来るのでしょうか。異邦人も聖霊を受けたと、ペトロの同行者等が驚くという所が使徒言行録にあります。ペトロの福音宣教の記録です。ペトロがこれらのことをなおも話し続けていると、み言葉を聴いている一同の上に聖霊が降った(使徒10:44)。み言葉と共に働く聖霊なる神です。
真理の霊という題でみ言葉を聴きました。この御言葉と共に働き給う聖霊なる神を受けて、その豊かなお働きに支えられて過ごす一週間としましょう。
天の父、聖霊なる神を信ずと告白している真理の霊の豊かなお働きを受けて、豊かな信仰に生きていけます様に。聖霊なる神が共に働いて下さるみ言葉を聴くことが許され深く感謝致します。み言葉に聴き従うことによって、聖霊なる神を受けて生きる者として下さい。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

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