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2月8日「選ばれ立てられる私たち」

  • 2月26日
  • 読了時間: 7分

『申命記』7:6~8  

『ヨハネ福音書』15:11~17 

 

祈ります。

天の父、主に選ばれ、立てられていることの意味をお教え下さい。主の御名によって祈ります、アーメン。

 

あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだ。 よーし、私は牧師になるんだと志を立てた人がこの御言葉を聴いた時、分からなかった大事なことを教え示されます。牧師の務めでなくてもいい、何でもいい、神のために役立つ者となりたいと願う方にも大事なことを示します。また反対に、もう神から離れよう、神の国に生きることを止めようと、感じている方にも大事なことを示します。あなた方が私を選んだのではない。私があなた方を選んだと主は言われました。私達の思い行いとしての選びではなく、主の思い行いとしての選びだと教えているのです。

あなた方が私を選んだのではない、これは私達の側の決断が最初ではないと伝えています。ヨハネ福音書の初めの言葉を思い出しましょう。初めに言葉があった。(ヨハネ1:1)これに支えられてみます。初めに私があなた方を選んだ、となります。主イエスが、先ず、私達の選びを行って下さった。主が初めに救いの決断をなさって下さった。初めに主が私達を召し出して下さった。主が初めに私達を信仰へと導いて下さった。

 

そしてこの私があなた方を選んだという主の言葉は、変わることがないのです。ペトロはそれをこう言います、神の変わることのない生きた言葉、主の言葉は永遠に変わることがない。(Ⅰペトロ1:23,25)選んだという主の言葉が変わることがないのですから、弟子の選びは永遠に変わることがないとなるのは主の教えるところです。

弟子達の選びは私達の選びです。主が私達をお選び下さった理由は何でしょう。お選び下さった拠り所は何でしょう。

他の人にはない特別に優れた能力の持ち主を「選ばれた者」と言ったりします。『ハリー・ポッターと賢者の石』という作品にハリーという少年が登場します。魔法の世界で、ヴォルデモートを倒す力を持ち、倒す運命を担っています。この運命にあるハリーが作品の中で、「選ばれた者」と呼ばれているのです。ハリーの様に特別に優れた能力の持ち主が「選ばれた者」とされるのです。このハリーを挙げなくてもいい、私達の誰もが、特別な能力を持っています。例を挙げればキリがありません。リンゴを上手にむける・一日に何キロも歩ける・喧嘩をしている人を仲直りさせる・人の悲しみに直ぐに気付いて寄り添える・空腹な人に自分の食べ物を差し出せる・一つしかないものを分けあって楽しむ・・・多くの方が持っていてもそれは、間違いなく特別な能力です。だから、普通の一般的な意味では、私達は誰もが、小さくても「選ばれた者」なのです。

 

では、弟子達の選び、私達の選びの理由は何でしょうか。何か特別に優れた能力を持っているからか。いいえ違います。主は、特別に優れた能力があるからという理由で、私達をお選びになりません。選ばれる理由は私達の中にはないのです。私があなた方を選んだという主の言葉の中にそれを実感することができます。

 

選ばれると言う時、何よりも先ず、イスラエルの選びを思います。イスラエルは神の選ばれた民です。イスラエルが選ばれた理由は何だったのか。旧約の申命記を読みました。そこに選びの理由、拠り所が告げられています。主があなた達を選ばれたのは、唯、あなたに対する主の愛の故、だと聖書は教えています。唯、主の愛の故、だと示しています。これ以上確かなことはありません。主が、愛の故に、私達を選んで下さっているというのですから。私達の力、私達の生き方、私達の心の故にではないのです。主の愛の故、主の恵みの故、主の慈しみの故なのですから、その選びはまことに確かなものです。恵みに満ちているものです。慈しみにあふれているものです。

 

主による私達の選びには、いくつかの目標があります。この目標を目指していくように選ばれたと言えます。第一、喜びへと選ばれている。11節、これらのことを話したのは、私の喜びがあなた方の内にあり、あなた方の喜びが満たされるためである。ぶどうの木の譬を思い出せますね。ぶどうの栽培で一番嬉しいのが実ったぶどうの収穫の時です。収穫の喜びを覚えます。それと似ています。私達の収穫は、喜びへと選ばれているのに気付くこと、そして喜びに満たされることなのです。これから主が向かわれる十字架の死の生み出す私達の罪の贖いは、まるで収穫の喜びのような、救いの喜びを満たして下さるのです。

喜びの次、第二の目標、愛することへと選ばれている。私があなた方を愛したように、互いに愛し合いなさい。これは12節に示されています。この後直ぐに17節にも繰り返されています。互いに愛し合いなさい。繰り返されている教えです。とも命令とも言われています。主のお気持ちの強さが感じ取れる言葉です。互いに愛し合うことへと選ばれているのだと主は強い言葉で告げています。聴き取りましょう。

愛の次は、第三の目標。主の友へと選ばれている。私はあなた方を友と呼ぶ。父から聞いたことを全てあなた方に知らせたからである(15節)。主の友とされるのです。友、友人、友達と聞くとどなたかを思い描かれるのではありませんか。竹馬の友であったり、夜が更ける迄楽しい会話を楽しんだ友であったり、同じ服を着て一緒だねと友情を確かめ合った友達であったり、悲しむ時寄り添ってくれた友であったり、色々な友をお覚えになることでしょう。親しく、仲良く過ごせる「友」。嬉しい、楽しい言葉、「友」。この世を幸いに生きるには友を沢山持つことだとも言えそうです。

しかし誤解してはならない。そういう友に、もう一人の友を加えるという事ではありません。主が何故「」と呼んで下さるのか。父から聞いたことを全てあなた方に知らせたからですと言われている。神の御言葉を伝え知らせたから、あなた方を友と呼ぶと言われています。私達は主イエスのお働きの意味を知っています。知らされないのはです。知らされているから友なのです。主イエスの教え、御業(みわざ)、お約束、ご命令、指示、贈り物の意味を知らされるので友なのです。

「神の友」と言われた方を覚えていますか。旧約聖書に登場する方です。年老いて与えられた宝物のような独り子の息子を、焼き尽くす献げものとしてささげなさい、と伝えられました。み言葉の通りに献げようとした時、神の御言葉の意味を知らされました。「自分の独り子である息子すら惜しまなかったので、あなたを豊かに祝福し、あなたの子孫を天の星の様に、海辺の砂の様に増やそう。」(創世記22:16,17)神の御言葉の意味がこの大きな祝福を与えて下さることだったと知らされたアブラハムこそ、神の友と呼ばれているのです。聖書を開けてみましょう。イザヤ書41:8.私の愛する友アブラハム

私達は礼拝で、主イエスの教え、御業の意味を知らされています。その時、アブラハムの様に私の愛する友と呼ばれるのです。

 

喜びへと選ばれる、愛し合うことへと選ばれる、主の友へと選ばれる幸いを聴いて来ました。主はそれを土台にして、選んで下さった目的を明らかにして下さいます。あなた方が出掛けて行って実を結ぶようにとあなた方を任命したのである(16節)。選びの目的は、任命することでした。口語訳ではあなた方を立てた、とあります。特別な働きを与えるということです。エレミヤは、あなたを聖別し諸国民の預言者として立てた、と告げられました(エレミヤ1:5)。エフェソの教会の長老たちは、聖霊がこの群れの監督者に任命なさったと書き送られました(使徒20:28)。パウロの場合は、キリスト・イエスが、私を忠実な者と見なして務めに就かせて下さった、と言うのです(Ⅰテモテ1:12)。特別な働きを与えられたのです。

私達教会が福音を伝える者として立てられ、任命され、その務めに就かせられているのです。

 

任命したと言われているのと同じ言葉が、13節にあります。是非読んで下さい。どの言葉が任命すると同じか。想像つかないと思いますが、「命を捨てること」です。

主イエスは十字架において命を捨てられたのです。それがそのまま、弟子達を任命することになったのです。

私達教会が福音を伝える者として立てられ、任命され、その務めに就かせられているこのことの為に、主イエスの命がかかっている、十字架が掛かっている、主の復活がかかっている。

福音を伝える務めを果たす力が、主が命を捨てられたことにあるのを曇りなく見抜いていたい。

 

天の父、喜びへと選ばれているのですから喜びの生き方が出来ます様に。互いに愛し合うことへと選ばれ、主の友へと選ばれている者に相応しい生き方が出来ます様に。福音を伝える教会として立てられていることを強く覚え、この務めに励むことが出来ます様に導き、その力をお与え下さい。実を結ぶことが出来ます様に! 主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

 
 
 

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