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3月15日 「勝利の主イエス」

  • 3月18日
  • 読了時間: 7分

『詩編』23:1~4  

『ヨハネ福音書』16:25~33 

 

祈ります。

天の父、私を一人きりにする時が来る。いや、既にきているとの御言葉の意味をお教え下さい。主の御名によって祈ります、アーメン。

 

主イエスの御言葉を覚えることは大事です。お別れの説教を聴きつつも、弟子達は主の御言葉の意味が分からず、何のことだろう。何を話しておられるのか分からない、(16:18)と言い合う程に分からないでいるのです。特に主が予告された時には、想像も出来ないほどに、分からないでいるのです。しかしその主の御言葉が自分の身に起きてみると、その意味が分かるようになるのです。いざ実現し本当に予告された通りになった時、主が予告されたことの意味が分かるのです。自分達の救いと深く結び付いていた教えの御言葉であり、信仰へと導く予告の御言葉であったのだと分かるのです。今、意味が分からなくても、主イエスの御言葉を覚えることは大事です。

ペトロの経験からそれを聴いてみましょう。主イエスが捕らわれて裁判にかけられる時、見つからないようにこっそりと裁判の庭に行きました。しかし見つかってしまい、困ったペトロは思わず、あの方は知らないと言ってしまいます。三回も否定します。その直後に鶏が鳴くのです。

鶏の鳴き声がこれほど大きく取り上げられた出来事があったでしょうか。この鶏は、歴史に刻まれる程の有名な鶏になりました。勿論鶏に意味がある訳ではありません。鳴き声がペトロに働きかけるのです。あるものを思い出させるのです。主イエスの御言葉を思い出させるのです。ペトロは、「鶏が鳴く前に、あなたは三度私を知らないと言うだろう」と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。(マタイ26:75)

この激しい涙は何の涙だろうか。悲しい涙か、悔しい涙か。色々な感情を表す涙だと言えそうです。この後ペトロの表立った活動は、主の復活まで伝えられていません。

イエスの言葉を思い出し、外に出て、激しく泣いたのです。そう福音書は告げています。では、その時ぺトロは「鶏が鳴く前に、三度私を知らないと言う」と言われたイエスの言葉の意味が本当に分かったのだろうか。知らないと三度も断言してしまうよ、との主の予告の意図、ねらいが何だったのか分かったのだろうか。その時の主のお気持ちがどんなお気持ちだったのか分かったのだろうか。どうだろうか。

これは、私達も主にお尋ねしたく思います。鶏が鳴く前に、三度私を知らないと言う」と仰った訳は何ですか。そこで主は予告された御言葉によって何をお伝えになりたかったのですか。唯そういうことになる、仕方のないことだと言われただけですか。そこには何のお気持ちもなかったのですか。

ぺトロはこの主イエスの言葉の意味が本当には分かりませんでした。その時には未だ分かりませんでした。だから、その涙は、主の御言葉の意味が分かったうえでの涙ではありませんでした。主の御言葉の意味が分からずにいることがそこでも起きていました。この後ペトロの表立った活動は、主の復活まで伝えられていません。

 

イエスの言葉の意味が分かる時が来ると言われていました。その時が来たときに、あなた方に思い出させると約束されました(16:4)。真理の霊が来ると、真理をことごとく悟らせる、と約束されました(16:13)。これを私達は確かにしておかねばなりません。約束の、聖霊なる神が主イエスの御言葉を思い出させ、その意味を悟らせて下さるのです。御言葉と共に働き給う聖霊なる神が、その御言葉を思い出せるように届けて悟らせて下さるのです。

32節に思いを注ぎます。あなた方が散らされて自分の家に帰ってしまい、私を一人きりにする時が来る。いや、既にきている。この主の予告は既にきていると言われた通り実現してしまいました。実際、主が逮捕された時、弟子達は皆、イエスを見捨てて逃げてしまった、のです(マルコ14:50)。

さて改めて、主のこの予告の意味は何でしょう。弟子達が皆自分の家に帰ってしまうと何のために仰ったのか。私を一人きりにする時が来ると仰って、弟子達に何をお伝えしようとされたのか。唯そういうことになる、仕方がないと言われただけですか。そこには何のお気持ちもなかったのですか。

もう一度繰り返します。主イエスの言葉の意味が分かる時が来ると言われていました。その時が来たときに、あなた方に思い出させると約束されました(16:4)。そして、真理の霊が来ると、真理をことごとく悟らせる、と約束されました(16:13)。ここでも、これを私達は確かにしておかねばなりません。約束の、聖霊なる神が主イエスの御言葉を思い出させ、その意味を悟らせて下さるのです。

その事が起こったのは、使徒言行録で弟子達が恐れずに福音を伝える使徒として活動しているところです。あの時主イエスを見捨てて逃げてしまい、主を一人きりにした弟子達が、今や、主イエスを宣べ伝えているのです。ナザレのイエスこそ、神から遣わされた方ですと告げて(使徒2:22)、救い主イエス・キリストを宣べ伝えています。

 

弟子達がやがてその様に、恐れず宣教に取り組むことを主は、このお別れの説教の中で実は明らかにされていたのです。その時には分からずにいましたが、聖霊なる神が御言葉の真理を悟るようにして下さいました。その証しが使徒言行録の示すところです。

このお別れの説教のどこに自分の家に帰ってしまい、私を一人きりにする時が来る。いや、既にきている、と言われた意味が告げられているのでしょうか。そう言われた主の思いはどこにあるのか。

まず、お伝えしておきます。唯そういうことになる、仕方がない、などということではない。主はその様な、無意味なことをお語りになりません。何かを諦めるというようなことはお考えになりません。

聖書が言葉という時、それは何かを生み出す力を意味します。何かを創り出す力を示します。創世記の伝える言葉はその力を簡潔に教えます。神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった(創世記1:3)。神の言葉は創造する力であることがよく分かります。そして、主イエスは、この福音書で、その言であるお方だと告げられています。言は肉となって、私達の間に宿られた。その栄光を見た。独り子としての栄光であって、恵みと真理とに満ちていた(ヨハネ1:14)。主の御言葉はいつも何かを生み出す。何かを創り出すのです。

 

では主の思いはどこにあるのか。私を一人きりにする時が来る。いや、既にきている、という主の御言葉は何を創り出すのか。弟子達の中に何を生み出すのか。

鍵は30節の、あなたが何でもご存じで、誰もお尋ねする必要がないという弟子達の短い信仰告白です。全てを見通しておられ、私達のことをどの様に考えておられるのかをお尋ねする必要などありません、と言っているのです。そういう信頼を表すことです。21章17節でこの御言葉が繰り返されます。主よ、あなたは何もかもご存じです

私を一人きりにする時が来る。いや、既にきている、とはあなたの弱さを私は知っているよ、と伝えているのです。十字架を目前に、逃げ出してしまうことを私は知っています、と告げるのです。

この主の御言葉は、主が私のことを知っていて下さるという信頼を生み出すのです。弱さも、逃げ出してしまう者であることも知っていて下さる、そういう主であることを信ずることが出来るのです。

そして更に、弱さを持ち、逃げ出してしまう私達を父御自身が、あなた方を愛しておられる、と言われます(16:27)。

あなた方の、弱さ故の不実を私は知っています、そうなっても、私の愛は変わらないと主は言われます。知っていて、そのうえで、私の弟子としているのだと言われます。

この言葉を弟子達は、思い出したのです。思い出すように真理の霊が与えられたのです。鶏の鳴き声によって主の御言葉を思い出した様に、今度は聖霊なる神によってこの主の言葉を思い出したのです。その時、まさしく、弟子達に平和が与えられたのです。自分の全てが主に知られている、その主が愛し、大事に生かし、お立て下さるからです。弟子達に、世界に福音を伝えよと告げて、福音を伝え宣教する務めへとお立てになったのです。

弱い自分、罪人の自分を、主が愛し、大事に生かし、お立て下さるというのです。そしてそれには約束とお励ましが伴います。世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている。

苦難があるこの世に、主が既に勝利されていることを信じて生きるこの一週間としましょう。

 

 

天の父、十字架を前に逃げ出した弟子達と私達は同じです。その私達を知っていて下さり、そのうえで、愛し、大事に生かし、お立て下さることを確かに聴き取り、信じることが出来ます様に。その時、主が既に勝利されていることを信じて生きる者となれます様に。

主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

 
 
 

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