5月3日 「一つになるように祈られている」 牧師 伊藤節雄
- 5月3日
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更新日:5月16日
『イザヤ書』6:3~7
『ヨハネ福音書』17:20~26
祈ります。
天の父、執り成しの祈りと一つにされることの意味をお教え下さい。主の御名によって祈ります、アーメン。
彼等の為だけでなく、彼等の言葉によって私を信じる人々の為にも、お願いします(20節)。十字架の時が近付き、長いお別れの言葉がありました。そしてそのお別れの言葉がいよいよ終わろうとしています。
別れの言葉は、別れる両者の関係をよく表します。あなたが今一番別れたくない御方はどなたですか。そしてその御方とお別れしなくてはならなくなった時、どの様なお別れの言葉を掛けますか。
主イエスのお別れの言葉は沢山ありました。「互いに足を洗い合わなければならない。」(13:14)「新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。」(13:34)「私の名によって私に何かを願うならば、私が適えてあげよう。」(14:14)それは主イエスのお約束でもあり、ご命令、お勧めでした。
その長いお別れの言葉に挟まるような形で、主イエスが父なる神にお願いをされていることに気付きましょう。20節では、彼等の為だけでなく、彼等の言葉によって私を信じる人々の為にも、お願いしますと告げています。この20節の前にも彼等の為にお願いしますとお願いをされています。9節と15節です。
彼等の為にお願いしますという祈りをどう呼んだらいいのでしょうか。誰かの為に祈る祈りです。執成しのと言います。私達教会の祈りとして最も大きな特徴を持つ祈りです。
讃美歌405番をお好きな方が多いと思います。「神共にいまして」です。色々なお別れをする時に主なる神に向かって歌う讃美歌です。その中心となる言葉はお別れする方、お相手の為の祈りです。執成しの祈りです。「神の守り、汝が身を離れざれ」と祈るのです。
主イエスの願いの内容からすればそれは、執り成しの祈りだと教えているのがローマの信徒への手紙8:34です。復活されたキリスト・イエスが神の右に座っていて、私達の為に執り成して下さるのです。しかも、その主のささげられる祈りが、今も進行中で、続いているのだと教えているのがヘブライ人への手紙7:25です。
執り成しは、一般的には、対立している両方の関係を修復するように働きかけることです。仲裁する、調停するという風な意味合いがあります。
聖書の言葉の意味は、執り成しとはまず、仲の良い友達に話しかけることです。そしてさらに深められて、王にお願いするという意味から、王なる神=全能の父なる神にお願いするという時に使われるようになりました。古代エジプトのパピルス資料に使われた言葉です。ある人がプトレマイオスⅡ世と妃クレオパトラ2世に願い出たことが記されています。この王に願い出たことを執り成すと書いたのです。その言葉を借りて来て、主イエスが私達の為に願い出て下さることを執り成して下さると書き伝えているのです。
主の執り成しの祈りの中身は何でしたか。あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、全ての人を一つにして下さい(21節)。彼等弟子達と、その説教によって信じるようになる人々が、一つになることです。弟子だけでなく、弟子の説教によって主イエスを信じるようになる人のために、主に執り成して下さっていることに気付きます。
もうすぐ、教会の暦として聖霊降臨日を迎えます。教会誕生祝です。その時、弟子の説教によって主イエスを信じるようになる人が与えられるのです。弟子の代表としてペトロが説教します。そのペトロの言葉を受け入れた人々は洗礼を受け、その日に三千人ほどが仲間に加わった(使徒2:41)。この三千人ほどの仲間もあの主の執り成しの祈りの中に入っているのです。
それならば、その三千人ほどの受洗者のあとに生まれる信仰者も主の執り成しの祈りに入っていませんか。主の祈りは、将来に生まれる信仰者も広く大きく含むのではありませんか。21節の全ての人は文字通りにとって、弟子達も三千人も将来に生まれる信仰者も全て含むのです。そして私達も!そういう意味で改めて3:16の「世」という言葉を覚えたいと思います。神は、その独り子をお与えになった程に、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。主の執り成しの祈りは世の終わりまで見通し、それを大きく包み抱えて下さっています。
その全ての人を一つにして下さいと執り成して下さいます。
今日の聖書箇所で繰り返し書かれている言葉を探してみましょう。「内におられる」「内にいる」と言葉以外では「一つ」です。目立ちます。21節に「一つ」、22節に二回「一つ」、23節に「一つ」。
私達の日常では、繰り返しは好かれません。くどくどと話すと嫌われます。私などは所謂認知症の症状としてこのくどさが目立ち、自分でも感じます。しかし、繰り返しには、それとは別の働きもあります。それは強調することです。力説することです。強く訴えることです。若山牧水の歌に「白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青うみのあをにも染まずただよふ」があります。「青」「あを」と繰り返されて、青さが印象に残りませんか。この繰り返しは強調を示します。
3節の中で4回繰り返された「一つ」です。一つになることです。
では誰が一つになることを主は祈られたのでしょうか。主のお祈りの、見通され、包んで下さっている誰が一つになるのでしょうか。
残される弟子達、聖霊降臨日の三千人ほど、そのあとに生まれる信仰者、私達、そして世の終わりまで生ま
れ続ける未来の信仰者、それが一つになること、それを主は執り成されたのです。
ではその全ての信仰者が一つになるとはどういうことでしょう。互いに愛し合いなさい。互いに足を洗い合わなければならない。との主の御言葉からは、一つになるとは、互いに愛し合う、互いの足を洗い合うことと考えることも出来そうです。それが教会の一つであることの表現となるのは大事でしょう。
では、私達が、12弟子と一つになる、聖霊降臨日の三千人と一つになる、そのあとに生まれた信仰者と一つになる、世の終わりまでこれからも生まれ続ける未来の信仰者と一つになる、ということはどう考えたらいいのか。
私達が、ペトロやヨハネと一つになる、私達が初めのエルサレム教会と一つになる、パウロに宣教してよって建ったヨーロッパ最初の教会フィリピの教会と一つになる、懸命にその救いを祈っている未来の信仰者と一つになる、ということはどう考えたらいいのか。
それを主はこう示されました、彼等も私達の内にいるようにして下さい(21節)。父なる神と主イエス・キリストの内に入れられること、それが一つにされるということです。それは父なる神と主イエス・キリストの内に生かされることです。
主キリストの内に生きる、それをローマの信徒への手紙では、キリストの体に結ばれて生きると言われています(ローマ7:4)。コリント人への手紙Ⅰではキリスト・イエスに結ばれて生きると言われています(Ⅰコリント1:30)。フィリピの教会への手紙では、主によって立ちなさい、と言われています(フィリピ4:1)。
この主によって、という言葉は新約で80回も使われています。元の言葉をそのまま訳すと主の中に入れられてということです。先程言いました主イエス・キリストの内に入れられて、となります。
主イエス・キリストの内に入れられる時、12弟子と一つになる、聖霊降臨日の三千人と一つになる、そのあとに生まれた信仰者と一つになる、世の終わりまでこれからも生まれ続ける未来の信仰者と一つになることが出来るのです。その大切さを覚えなさいということで、全ての人を一つにして下さいと執り成して下さっているのです。
使徒信条で「聖徒の交わりを信ず」と信仰を告白しています。ハイデルベルグ信仰問答では、信ずる者は誰も皆、肢(えだ)として、主キリストに与る、と説明されています。聖徒の交わりとは、過去現在未来の信仰者と共に主キリストに与ることなのです。
沈姉妹がドイツに行かれる時にお別れの言葉を申し上げました。遠く離れますが、私達は聖餐式に出て、主キリストに与る時、主にある交わりを温かく豊かに持つことが出来るのです、と。
私達は一つになるように祈られているのです。全ての人と一つにされている者として、この一週間を過ごしましょう。
天の父、救い主が今も私達の為にあなたに執り成しの祈りをささげて下さっていることを覚え、深く感謝いたします。その祈りにお答えくださるように、全ての人が一つとされます様に。主の聖餐に与ることによって、聖徒の交わりを固くするしていけます様に。
主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン
